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卒業式・修了式

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生憎の雨でしたが、26日に卒業式・修了式が行われました。研究室からは4人の卒業生と、2人の修了生がいます。修士に残る学生は一人だけなので、5人を送り出すことになり、寂しい限りです。新しく学生部屋になった301で記念撮影しました。もうすぐ新年度です。

Slovenia

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二国間交流事業ではじめてスロベニアに一週間ほど滞在しました。日本人にはあまり馴染みがないですが、治安が良く、綺麗な街と美しい自然のある素晴らしい国でした。第二次世界大戦でドイツやイタリアと闘ったパルチザンが母体となった、かつてのユーゴスラビア連邦(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロの6つの社会主義共和国から構成された)のもっとも北に位置していたスロベニアは、1991年に民主制を導入し、独立しました。2004年にはEUに加盟しているため、若い世代はユーゴよりもEUへの帰属意識が強いでしょう。現在の人口がおよそ200万人、土地面積がおよそ200万haの小さな国で、森林率は60%ほどです。 小さな国なので首都のリュブリャナ(写真)にずっと宿泊しながら、カルスト地方、第二の都市マリボル、唯一の港湾都市コペルに訪問することができました。 そもそもカルストという言葉の語源はスロベニアの地名であるKrasだそうです。石灰岩の作る放牧地や洞窟、ドリーネ(洞窟の蓋が落ちてできる窪地地形)といった景観がスロベニア東南部を特徴づけます。お世話になったスロベニア人たちのすすめでポストイナではなくシュコツィアンの洞窟を見学しました。 断崖からドリーネに川(Reka)が流れ出ています。この断崖のなかに洞窟(Jame)が広がっています。予約制で20人くらいのグループごとにガイドが英語で案内してくれます。ものすごく大きな洞窟で迫力満点でした。 断崖の上にみえた教会のある村にも案内していただきました。伝統的な石造りの民家は壁を石灰で塗っています。江戸の街の漆喰のようですが、建築資材としての石灰は村で用いられるだけで、商品として流通することはなく、大きな経済的な価値を持たなかったとのことでした。 カルストはそもそも土壌が薄いため植林には適さない環境で、伝統的にブナやナラのコピス(萌芽林)と放牧によって利用されていたのですが、本来は森林だったはずだとして、19世紀半ばから二次大戦後にかけてクロマツを植えて「reforestation」しようと試みました。現在は新植していないので徐々に広葉樹に遷移していますが、一方で放置される放牧地にはクロマツが自然に進出していました(写真)。放牧地を散策しているときにスノードロップを見つけました(写真)。子どものときに読...

農大で森林学会&林業経済学会

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2019年春の新潟以来なので5年ぶりに対面で森林学会大会と林業経済学会春季大会が開催されました。会場となった農大にも久しぶりにお邪魔しました。 メイン会場の1号館から見えた美しいグラウンドでは学生たちがサッカーの練習をしていました。グラウンドのはるか向こうには渋谷の高層ビル群が見えます。いつの間にか新宿副都心のようになってきました。 林業経済学会春季大会シンポジウムは横井講堂で開催されました。お世話になった方々に久しぶりに会うことができて、とても楽しくすこせました。会場ならびに運営にご尽力された農大の方々に心よりお礼申し上げます。 来年は北海道大学で開催されるとのことです。奮ってご参加ください。

東大農学部1号館

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久しぶりに東大林政にお邪魔しました。改修が終わっても外観はむかしのままで重厚です。長いこと通っていたせいなのか、この建物の匂いやかたち、ひんやりとした空気がすごく落ち着きます。 どこかで書いたような気もしますが、昭和10年に東京帝国大学農学部が駒場から引っ越した際に、本科と実科が分離し、本科は弥生に移り、実科は府中で東京高等農林学校としてスタートします。要するに現在の東大農学部と農工大農学部はこの分離まで同じ学校だったということです。 建物よりも懐かしいのは、お邪魔するたびにいつも温かく迎えてくれる東大林政のみなさまです。実家に帰ってきたような感じで、ホッとします。歴史あるこの研究室がいつまでも続くことを願います。

魯迅

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スロベニアとの二国間交流事業で久しぶりに仙台の東北大学にお邪魔しました。最近の受験業界でよく耳にする「旧帝」とはかつて帝国大学だった国立大学のことです。最初の帝国大学は東京帝国大学(1886年)、次は京都帝国大学(1897年)、そして、少し意外かもしれませんが、3番目が東北帝国大学(1907年)です。このあとに九州(1911年)、北海道(1918年)、京城(1924年)、台北(1928年)、大阪(1931年)、名古屋(1939年)と続きます。 不勉強でよく知らなかったのですが、著名な文学者の魯迅(周樹人、1881-1936)は東北帝国大学の前身の一つである仙台医学専門学校で学んだ留学生でした。魯迅の留学時代について東北大学史料館に 展示スペース が設けられていました。わずか1年半で退学し、医学ではなく文学を志すことになったとのことです。なお、東北帝国大学は、1907年にスタートした際に、札幌農学校を前身とする農科大学と、仙台に新しくつくった理科大学から構成されていました。注意すべきは、農科大学がそのまま札幌にあり(今風に言うなら東北帝国大学札幌キャンパス)、1918年に北海道帝国大学がスタートした際に東北帝国大学から分離されたことです。見方によっては、北海道も3番目の帝国大学かもしれないですね。 魯迅にとって医学や日本は必ずしも良い思い出ではなかったとしても、その経験はのちの文学者や思想家としての人生に大きな影響があったのだと思います。大学とはそうした多様な若者たちの人生の交差点であることを意識しつつ、現在の中国からの留学生も交えて、スロベニアの研究者と学術交流をした二日間でした。

不忍池のアオサギ

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元日に能登半島で大きな地震があり、2日に羽田で飛行機事故がありました。被災者の方々にお見舞い申し上げます。 3日に上野に墓参りに出かけたついでに不忍池を散歩しました。人を怖がらないアオサギたちが池の周りを闊歩しています。オナガガモ、オオバン、ホシハジロ、キンクロハジロ、カイツブリ。ここは水鳥の楽園ですね。 本年もどうぞよろしくお願いします。

東大・筑波大との合同ゼミ

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現在、大日本山林会の会長である永田信先生にかつて東大林政で教えられた学生でいま大学に務めているものが、それぞれの研究室の学生と一緒に年に一度集まって合同ゼミを開催しています。今回で第12回目になりました。 永田先生に会えることはもちろんですが、永田先生を通じて弟子たち、さらには孫弟子たちが現況を報告しあう貴重な機会になっています。 コロナ後、昨年はハイブリッドでしたが、今年は茗荷谷の筑波大文京キャンパスで完全対面で開催することができ、懇親会も行い、親交を温めました。 農工大からはM2の松本くん、松村さん、B4の瀬下さん、鈴木くんが発表してくれました。普段のゼミとは違う空気のなかで発表することで、たくさんの発見があったと思います。 今年もあと数日となりましたが、みなさま良いお年をお迎えください。

集落と獣害

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跡見女子学園大学で開催された村研ジャーナル編集委員会主催研究会 「村落の「空間荒廃」と資源管理を考える―獣害対応の観点から―」 に参加してきました。 会場の跡見女子学園大学にははじめてお邪魔しました。2号館の屋上には学生が勉強できるラウンジのようなスペースがあり、そこから屋上に出られます。 このあたりは小日向台地の北端で、標高が高いため、周囲を一望できます。天気が良かったので、遠くに富士山も見えました。 獣害は、人口減少下の集落にとって大きな問題になっています。少し高いところに視点を置いて、自然科学と社会科学の両方からアプローチすることが必要であると改めて認識させられました。今回は、農工大の関係者が多く参加しており、親交を深めることができました。企画いただいたみなさまに心より感謝申し上げます。

食欲は理性に従うべし

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立教大学で開催されたコモンズ研究会に学部4年生の二人と一緒に参加してきました。1919年からあるという第一食堂の入口には「食欲は理性に従うべし」というラテン語が掲げられています。日本語なら「腹八分目」と言ったところでしょうか。 第一食堂の内部はまるでケンブリッジかオックスフォードのように素敵で、いたって普通の学食レベルである鶏チャーシュー麺も大変美味しく感じました。立教大学に訪れる際にはぜひご利用ください。 研究会では、付知町のキノコ採り、池袋の銭湯、オリエンタリズム絵画とバラエティに富んだ発表を聞くことができ、勉強になりました。 研究会が終わったらもうすっかり暗くなっていて、色とりどりに電飾されたクリスマスツリーを見に来た人たちが正門のあたりに集まっていました。これだけ見事なら観光名所にもなります。 研究会後の懇親会も楽しくて、つい理性を失い食べすぎてしまいました。研究会を開催してくださった関係者のみなさま、立教大学のみなさまに感謝申し上げます。  

虹の名立

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修士と博士の学生二人と一緒に上越市名立の不動地区に三日間、お邪魔してきました。 土曜、日曜と小雨がずっと降っていたのですが、月曜の朝にようやく陽が差しはじめました。うみてらす名立の駐車場に出たら、日本海に虹がかかっていました。今年は虹によく出会いました。京都、下田に続き、三度目です。 河口に架かる名立大橋から名立川を山に向かって20分ほど車で遡れば、そこはすでに雪景色の不動地区です。写真の真ん中にある小さな三角の山が、名立川の水源の不動山です。手前には旧不動小学校校舎も見えます。 この旧校舎で開催された学習会でこれまでの調査内容を発表し、収穫祭で美味しい山菜やおそばをお腹いっぱいいただきました。また今回も屋号や地すべりに関する聞き取りを行いました。不動地区のみなさん、いつも本当にありがとうございます。

琉球大学で林業経済学会秋季大会

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11月25日・26日に沖縄の琉球大学で林業経済学会秋季大会が開催されました。前日に会議もあったので、三日間、沖縄に滞在しました。昨年のIUFROに引き続き、2年連続の沖縄です。 約20年ぶりに訪れた琉大の千原(せんばる)キャンパスでまず目についたのが「ハブに注意!」でした。ハブは怖いですが、自然豊かなキャンパスで、「千原池」の近くにはオオゴマダラも飛んでいました。 最終日の午後は飛行機まで時間があったので、大浦のマングローブ林までエクスカーションしてきました。ここよりすこし北にある東村の慶佐次川のマングローブ林が本島最大規模とのことで、どちらに行くか迷ったのですが、カヌーに乗る時間はないので、長い遊歩道がある大浦川(名護市)にお邪魔しました。低層のメヒルギと、それより一段高い層のオヒルギが林相を形成しているのが分かります。この散策コースのもう一つ面白いところは、マングローブ林を抜けた後に、大浦集落のなかを歩けることです。伝統的なお墓や民家、公民館、共同売店などを見ることができます。集落の裏山に向かう道際ではたくさんのツマベニチョウやナガサキアゲハが舞っていました。 普天間飛行場を移設するために工事が行われている辺野古や、キャンプハンセンの横を通り抜けて帰る道すがら、金武の観音寺にあるフクギの巨木(樹齢350年、樹高12m、胸高周囲2.8m)も見学しました。そもそもフクギはそれほど大きくなる木ではないので、この木は珍しいのだと思います。たくさんのオオタニワタリが着生していました。 来年は九州大学の伊都キャンパスで秋季大会が開催されます。林業経済学会は堅苦しくない学会で、誰もが自由闊達に意見を述べることができます。みなさん奮ってご参加ください。

農工大科学博物館で「帝国日本と森林」開催中

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農工大の科学博物館(小金井キャンパス)で大学博物館連携巡回展 「帝国日本と森林」 が開催中です。 この巡回展示は、この2月に出版した書籍 『帝国日本と森林—近代東アジアにおける環境保護と資源開発』 を契機に、共同研究者が所属する大学間を資料でつなぎ旅するという企画です。 今回の見どころは、九州大学博物館が収集した各地の材鑑標本です。材鑑は一般にあまり目にすることのないものですが、鴨緑江、南洋、台湾、北海道など各地のものがあるうえに、薄いもの、厚いもの、樹皮付きなどの種類もさまざま揃っています。写真は北海道の材鑑です。ミズナラは「オホナラ」(大楢)と書いてありました。ドイツ箱に並べられた標本のディスプレイがおしゃれですね。 12月23日(土)までやっていますので、お近くにいらっしゃった際にはぜひご覧ください。 農工大の後は、帝京大に巡回する予定です。

農工祭

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すこし肌寒い週末となりましたが、農工祭にはたくさんの人が集っていました。予約の必要もなくなり、コロナ前の様子に完全に戻ったように思います。

鳥屋財産区

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秋晴れのなか、相模原市の鳥屋財産区有林にお邪魔してきました。写真は宮ヶ瀬ダムに架かる「虹の大橋」越しに南西方面の山々を眺めています。右端の奥に見える峰が神奈川県最高峰の「蛭ヶ岳」(1,673m)です。その左隣にある峰が「鬼岩の頭」で、手前の斜面には「白馬草原」が見えます。中央右に一番高く写っているのが「本間ノ頭」(1,345m)で、この後ろに「丹沢山」(1,567m)が隠れています。 写真の左端の峰が「高畑山」(766m)で、よく見るとその右に東電の鉄塔が立っています。この鉄塔からほぼ真北に向かって(虹の大橋の方に向かって)いくつか鉄塔が立ち並んでいます。この線下補償が鳥屋財産区の収入の一つになっています。 写真に写っている山々のほとんどが鳥屋地区の森林(3,700ha)で、鳥屋財産区有林(約3,200ha)がかなりの部分を占めています。残りの500haほどは個人有林です。本間ノ頭の手前を右に入っていく早戸川の南側に鳥屋財産区の直営林(1,750ha)が広がり、北側には鳥屋造林組合への貸付林(1,450ha)が広がります。 早戸川に沿って走る林道を、六百沢、鳥屋金沢を越えて遡っていくと、「 早戸川国際マス釣場 」に出ます。この施設の土地も財産区が貸しています。さらに林道を進み、旧丹沢観光センター(写真:現在は市の研修所として利用)まで連れて行っていただきました。このあたりはかつて紅葉の観光名所で、地域の人達が観光センターに宿泊して、楽しんだそうです。今年の紅葉のピークにはあと1〜2週間かかりそうでした。 宮ケ瀬ダムに戻り、バードウオッチャーに有名な金沢橋(写真:金沢橋から見える鉄塔)を通って、宮ケ瀬ビジターセンターに出ました。ここは神奈川県唯一の村である清川村になります。ダムに突き出た半島のような地形を経て、虹の大橋を渡り、鳥屋の出張所に戻りました。早戸川の両岸に広がる広大な鳥屋財産区有林を体感することができました。 案内くださったみなさまに心よりお礼申し上げます。

大沢の里水車・古民家まつり

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秋です。後期が始まったら、急に涼しくなりました。 野川公園のすぐ近くにある大沢の里で、水車・古民家まつりを開催していたので、見学してきました。 普段は動いていない水車を年に一度だけ動かして、すぐ横の田んぼで収穫したばかりの米を搗く(精米する)というイベントです。 昭和40年代までは使用されていたというこの水車機構は想像以上に大がかりな機械で、近づくのが怖いくらいの迫力でした。 古民家はかつてワサビを生産・販売していた箕輪家が2007年に三鷹市に寄贈したものです。家屋の裏にはワサビ田もありました。箕輪家は神田青果市場に「箕輪山葵商店」を開き、その後、昭和10年頃に築地場外市場に店を移し、大沢のワサビを販売していたとのことです。なかなか洒落たトレードマークです(写真)。 いったん解体されて、復元整備された箕輪家の古民家の屋根は、そもそもの材料だった麦わらの上に銅板を葺いたものだそうです( 『三鷹エコミュージアム研究みぃむ』創刊特別号, p.5 )。現在、90名いるというボランティアの方々がワサビ田や家屋内を丁寧に案内してくれました。 すぐ横を流れる野川では、オレンジ色のお腹をキラキラ輝かせたカワセミが姿を見せてくれるなど、気持ちの良い初秋の一日でした。

鳥屋

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M2のMくんの調査に同行して相模原市の鳥屋地域センターにお邪魔してきました。橋本駅からバスで40分くらいです。この場所にはかつて鳥屋小学校がありました。当時は鳥屋村立小学校で、写真の石柱は校門の跡です。その後、1955(昭和30)年に鳥屋村は津久井町に合併され、小学校は1979(昭和54)年にすぐ近くに新校舎を建築して引っ越し、跡地に鳥屋地域センターができました。 さらに、2006(平成18)年に津久井町が相模原市に合併されて、相模原市立鳥屋小学校となりました。同校は本年3月まで続いていたのですが、リニア中央新幹線の車両基地に土地を提供するため、隣接する鳥屋中学校に統合され、小中一貫の「義務教育学校」の市立鳥屋学園として4月にスタートしたところです。

百村の蛇より

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毎年8月7日は、稲城市百村にある妙見宮で「蛇より」行事が執り行われます。1662(寛文2)年に、全国的に流行した疾病を防ぐために始まった行事です。 府中に引っ越してきたときから見学したかったのですが、なかなか機会に恵まれず、今回、初めてお邪魔することができました。 妙見信仰 は北斗七星を祀ります。蛇よりでは、百村の住民による「星神社奉賛会」から選ばれた7名が、蛇をつくるための萱を当日の朝から刈って、5〜10本くらいずつの束にして、400束を用意します。 鳥居の前の広場で14時すぎに妙見寺の僧侶が7名に祈祷を捧げると、ずらっと並べられた400束の萱で蛇づくりが14時20分に始まりました。 頭の部分と胴体の部分とで別々に作業が行われます。織物のようにして作られる頭が先に出来上がりました。50m以上あるという長い胴体が完成したのは16時ごろでした。 全部、完成するとすぐに、尻尾のほうを先頭にして胴体を参加者みんなで持って、山上の社殿に続く階段を登っていきます。その年の蛇の長さによって異なるようですが、今年は社殿のある広場を半周くらい這わせることができました。 なんでもその年の萱の育ち具合によって蛇の長さが変わるそうで、今年は長かったとのことです。 いつの間にか、蛇の頭は胴体と繋げられて、鳥居の横にある「二十三夜塔」に安置されていました。蛇(角があるので本当は龍ですね)を「開眼」させる祈祷を妙見寺の僧侶が行って一連の行事が終了しました。 急に雨が降ったり、強い陽が射したり、セミの鳴き声のなか、汗をいっぱいかきながらの見学となりました。新型コロナウィルスの退散もそろそろでしょう。

虹のキエフ

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8月1日に京都大学人文科学研究所で第1回「環境史ネットワーク」を開催しました。これは、AAEH(アジア環境史協会)の発足に伴って国内研究者のネットワークを活発にするための集まりです。 第1回のキックオフイベントとして、藤原辰史さん編著の『 Handbook of Environmental History in Japan 』の書評会を開催しました。対面・オンラインでお集まりいただいたみなさまに心より感謝申し上げます。 イベント後、今後の打ち合わせと懇親を兼ねて祇園四条駅からすぐにある「 レストラン キエフ 」の屋上にお邪魔しました。そうしたら京都の街の上に虹が綺麗に架かっていました。こんなにくっきりとした虹を見たのは久しぶりです。 2022年2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻してから、戦争が終わらないまま、もう1年半ほどの長い時間が過ぎています。平和が一日も早くキーウの街に戻ることを祈っています。

蛇口をひねれば

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酷暑が続いています。それでも蛇口をひねれば飲料水が出てくるので大変ありがたいです。今日はゼミのエクスカーションで 東京都水道歴史館 にお邪魔しました。地下には明治から続く本郷給水所があります。 写真は「共用栓」から飲料水を汲んでいる明治期の女性です。10cmほどの小さな模型ですが、大変良くできていました。正確には「蛇体鉄柱式共用栓」というもので、明治末期に1万基ほどあったそうです。横にある鍵穴に鍵をさすと竜の口から水が出る仕組みです。竜の口だからなのか、「蛇体」だからなのかはよく分からなかったのですが、この共用栓が「蛇口」の語源になっているとのこと。 水道歴史館のデジタルアーカイブに東京都水源林の写真がたくさんあることを知りました。忘れないように リンク しておきます。

大田(Daejong)でEAEH2023

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EAEH2023 (東アジア環境史学会)に参加するため韓国中部にある大田(Daejong)に行ってきました。ソウルからKTXで1時間ちょっとのところにある広域市です。広域市とは、人口100万人以上を条件とする地方行政区画で、大田広域市は人口が約150万人で、山林庁など「庁」レベルの行政機関が集められているそうです。そのためか、大きな道路や橋、公園、百貨店が現代的な都市景観を形成しています。 2011年の第1回から今回の第7回まで開催してきたEAEHは、次回から東アジアの枠を超えてアジア全体で議論できるアジア環境史学会に発展する予定です。総会では、この移行期間を担うプレジデントに香川大学名誉教授の村山聡先生が選出されました。 最終日、帰りの飛行機まで時間があったので、ソウルの北村韓屋村を散策しました。ここは、かつて総督府が置かれた景福宮と、昌徳宮との中間地点にあります。密集している伝統的な家屋が保全・修復されて、内外から多くの人が訪れる観光地になっています。近代的なビル群と伝統的な家屋のコントラストが不思議な景観を作っていました。

牧丘で実習

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 土日に地域社会システム調査実習の現地実習で山梨市にお邪魔しました。幸い、天候にも恵まれて、無事に実習を行うことができました。ご協力くださった方々に、心よりお礼申し上げます。 初日の午前中は市の総合政策課および地域資源開発課から移住施策などの現状と課題を説明いただきました。午後は牧丘に行き、有機栽培のブドウ農園を見学したあと、宿泊する中牧公民館まで景観の美しい丘陵地を1時間ほど散策しました。 夜は移住者や地元の方にお集まりいただいて、これまでの経緯や現在の農業と生活について教えていただきました。 翌日の午前中は農業体験で、鹿よけネットを張って、インゲン豆用の支柱を立てたり、大豆の種まきをしました。午後は公民館で地域商社の取り組みについてTさんからお話を伺いしました。 みなさんのご協力のおかげで無事に二日間の日程を終了することができました。学び多い充実した時間を過ごすことができました。改めて感謝申し上げます。

不動の田植え

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上越は名立の不動にお邪魔してきました。あちこちの田んぼで村のみなさんが天気とにらめっこで田植えをしていました。立ち並んでいるハサ(ハザ)木は、横に木を渡して、刈り取った稲を天日干しするために使われます。 名立川の西側から上瀬戸と東飛山の集落を一望することができました。ここには、豪雪地帯の厳しさと恵みのなかで建物や田んぼを守り続けてきた暮らしがあります。 いつもお世話になっているKさんご夫妻のところで、アマドコロのおひたしをいだきました。マヨネーズをつけなくても甘みたっぷりでとても美味しかったです。山の恵みに感謝です。