Slovenia
二国間交流事業ではじめてスロベニアに一週間ほど滞在しました。日本人にはあまり馴染みがないですが、治安が良く、綺麗な街と美しい自然のある素晴らしい国でした。第二次世界大戦でドイツやイタリアと闘ったパルチザンが母体となった、かつてのユーゴスラビア連邦(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロの6つの社会主義共和国から構成された)のもっとも北に位置していたスロベニアは、1991年に民主制を導入し、独立しました。2004年にはEUに加盟しているため、若い世代はユーゴよりもEUへの帰属意識が強いでしょう。現在の人口がおよそ200万人、土地面積がおよそ200万haの小さな国で、森林率は60%ほどです。
小さな国なので首都のリュブリャナ(写真)にずっと宿泊しながら、カルスト地方、第二の都市マリボル、唯一の港湾都市コペルに訪問することができました。
そもそもカルストという言葉の語源はスロベニアの地名であるKrasだそうです。石灰岩の作る放牧地や洞窟、ドリーネ(洞窟の蓋が落ちてできる窪地地形)といった景観がスロベニア東南部を特徴づけます。お世話になったスロベニア人たちのすすめでポストイナではなくシュコツィアンの洞窟を見学しました。
断崖からドリーネに川(Reka)が流れ出ています。この断崖のなかに洞窟(Jame)が広がっています。予約制で20人くらいのグループごとにガイドが英語で案内してくれます。ものすごく大きな洞窟で迫力満点でした。断崖の上にみえた教会のある村にも案内していただきました。伝統的な石造りの民家は壁を石灰で塗っています。江戸の街の漆喰のようですが、建築資材としての石灰は村で用いられるだけで、商品として流通することはなく、大きな経済的な価値を持たなかったとのことでした。
カルストはそもそも土壌が薄いため植林には適さない環境で、伝統的にブナやナラのコピス(萌芽林)と放牧によって利用されていたのですが、本来は森林だったはずだとして、19世紀半ばから二次大戦後にかけてクロマツを植えて「reforestation」しようと試みました。現在は新植していないので徐々に広葉樹に遷移していますが、一方で放置される放牧地にはクロマツが自然に進出していました(写真)。放牧地を散策しているときにスノードロップを見つけました(写真)。子どものときに読んだ『森は生きている』を思い出します。3月半ばに咲いているのも驚きですが、さすがに大晦日に咲くことはないでしょう。緑色のクリスマスローズは(写真)、Helleborus odorusという学名でスロベニア東部に多いそうです。
広葉樹の伐採地にも連れて行っていただきました。まだ3月なのにヨーロッパカタクリや黄色いサクラソウ(プリムローズ)が咲き乱れる散歩道の脇でブナが伐採されていました。興味深いことに、これらのほとんどがセントラルヒーティングのための家庭用薪ボイラーで利用されているようです。薪の価格はブナが最も高く1立米82ユーロ(13,000円)ほどでした。伐採地の横を流れている小川では黄色い斑点が美しいファイアサラマンダー(写真)にも出会えました。
リュブリャナ駅には9番プラットフォームが2つあることを知らずに、危うく列車に乗りそこねるところでしたが、マリボルに向かう車窓からはハサ(kozorec)を見ることもできました。オーストリアのグラーツ(Graz)にもほど近いマリボルも、リュブリャナ同様にとても美しい街でした。ワインの生産で有名で、世界最古なるワインの木があります。今回、港町のコペル(Koper)にあるプリモスルカ大学で学部生に日本の森林や里山の歴史について講義をする機会もいただきました。スロベニアにはわずか40kmの海岸線しかありませんが、この港はヨーロッパ各地とアジアなどとの自動車の輸出入の基地になっているそうです。伝統的な塩田での塩(sol)の生産でも有名でお土産に塩チョコを買いました。港町らしく眩しい太陽が洗濯物をあっという間に乾かしてくれそうです。傑作と言われているのが国立図書館の建築です。学ぶために重い鉄の扉を開くと、そこには暗い階段があって、上の方に光が見えます。知識を得るためには一苦労しなければいけないこと、知識とは暗がりを照らす光のようなものであることを教えるデザインになっています。けれど、若い学生さんたちに扉を開けてもらい、一苦労せずに入館してしまいました。現代史研究所とプリモスルカ大学の関係者のみなさまに大変お世話になり、充実した一週間を過ごすことができました。同行した博士課程の佐藤くんも現代史研究所で発表をする機会を得て、良い経験になりました。スロベニアで調査・研究したいこと🐝もいくつか見つかり、今後の展開が楽しみです。
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