滋賀県立大学で林業経済学会秋季大会

今年の林業経済学会秋季大会は滋賀県立大学で開催されました。大会前日の評議員会の前に御神体が山という太郎坊宮(写真)に登ってきました。太郎坊宮のある東近江市は「飛び出し坊や」の発祥の地として知られているそうです。なんと「飛び出し坊や」は自分と同い年。

太郎坊宮の後、彦根城にもお邪魔してひこにゃんに会うことも出来ました。いまやどこにでもいる「ゆるキャラ」ですが、ひこにゃんはくまモンと並ぶ初期からの横綱でしょう。それにしても「飛び出し坊や」と「ゆるキャラ」の両方を命名したみうらじゅん氏の先見の明には驚かされます。

滋賀県立大学は琵琶湖まで歩いて10分くらいのところにあります。土曜と日曜の朝、彦根駅からのバスで先に琵琶湖まで行ってから大学まで散策をしました。大会は144人の参加で、盛会に終わりました。学生ポスター&ピッチをはじめとして学生の熱心な発表が目立った大会でした。なお、来年は宇都宮大学での開催になります。

今回の大会では、朝鮮の森林に関する未刊行文献の発見について報告し、その文献に記載された李氏朝鮮以前の宗教的な森林と漁猟的な森林について予備的な分析を発表しました。関連して、学会後に奈良の桜井まで足を延ばして大神神社の三輪山に学生たちと登拝してきました。
御神体が山というのは、日本のもっとも古い信仰の形態の一つですが、神道や仏教に取り込まれていく中で、原型をとどめているものは多くありません。三輪山は遠藤安太郎の『日本山林史』にそうした原型的な「神座林」の代表として記載されています。ありがたいことに、もともとは禁足の地であった御神体にいまは登拝することができます。
狭井神社で受付してもらい、登り始めたのが9時半ごろで、下りてきたのは11時半を回っていました。三輪山での撮影は禁止されているため写真はありませんが、山の中腹に中津磐座という岩場があり、頂上に奥津磐座という岩場がありました。これは、去年お邪魔した宗像大社辺津宮と中津宮(筑前大島)、沖津宮(沖ノ島)との関係とまったく同じで、三輪山の麓には磐座神社など辺津磐座と呼ばれる岩場が点在しています。しかも奥津の読みは「おきつ」でした。月曜日でしたが、たまたま12月1日だったせいか、神社も山も賑わっていました。
この写真は箸墓古墳の前方から見た三輪山です。標高は467mでなだらかに見えますが、登拝の道はほとんどが階段になっています。感覚的には高尾山(599m)に登って下りてきたのと同じくらいでした。トレッキングの靴や服装が必要です。
邪馬台国がどこにあるのか、古代史の論争は尽きることがありません。ただ、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が奉られている三輪山と、そのすぐ近くに立地していて、大物主神の妻となった百襲姫命(ももそひめのみこと)の墓である箸墓古墳(写真)を訪れてしまうと、畿内説の支持者になりそうです。果たして本当に百襲姫命は卑弥呼で、ここに眠っているのでしょうか。
せっかく桜井まで来たので、大神だけでなく、東吉野村のニホンオオカミの像にも会いに行きました。明治38年に「鷲家口の宿屋芳月楼で地元の漁師から、英国から派遣された東亜動物学探検隊員米人マルコム・アンダーソンに八円五十銭で買い取られ大英博物館の標本となっ」た最後のニホンオオカミの像です。やっと会えました。次はケンジントンですね。



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