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東大農学部1号館

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久しぶりに東大林政にお邪魔しました。改修が終わっても外観はむかしのままで重厚です。長いこと通っていたせいなのか、この建物の匂いやかたち、ひんやりとした空気がすごく落ち着きます。 どこかで書いたような気もしますが、昭和10年に東京帝国大学農学部が駒場から引っ越した際に、本科と実科が分離し、本科は弥生に移り、実科は府中で東京高等農林学校としてスタートします。要するに現在の東大農学部と農工大農学部はこの分離まで同じ学校だったということです。 建物よりも懐かしいのは、お邪魔するたびにいつも温かく迎えてくれる東大林政のみなさまです。実家に帰ってきたような感じで、ホッとします。歴史あるこの研究室がいつまでも続くことを願います。

魯迅

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スロベニアとの二国間交流事業で久しぶりに仙台の東北大学にお邪魔しました。最近の受験業界でよく耳にする「旧帝」とはかつて帝国大学だった国立大学のことです。最初の帝国大学は東京帝国大学(1886年)、次は京都帝国大学(1897年)、そして、少し意外かもしれませんが、3番目が東北帝国大学(1907年)です。このあとに九州(1911年)、北海道(1918年)、京城(1924年)、台北(1928年)、大阪(1931年)、名古屋(1939年)と続きます。 不勉強でよく知らなかったのですが、著名な文学者の魯迅(周樹人、1881-1936)は東北帝国大学の前身の一つである仙台医学専門学校で学んだ留学生でした。魯迅の留学時代について東北大学史料館に 展示スペース が設けられていました。わずか1年半で退学し、医学ではなく文学を志すことになったとのことです。なお、東北帝国大学は、1907年にスタートした際に、札幌農学校を前身とする農科大学と、仙台に新しくつくった理科大学から構成されていました。注意すべきは、農科大学がそのまま札幌にあり(今風に言うなら東北帝国大学札幌キャンパス)、1918年に北海道帝国大学がスタートした際に東北帝国大学から分離されたことです。見方によっては、北海道も3番目の帝国大学かもしれないですね。 魯迅にとって医学や日本は必ずしも良い思い出ではなかったとしても、その経験はのちの文学者や思想家としての人生に大きな影響があったのだと思います。大学とはそうした多様な若者たちの人生の交差点であることを意識しつつ、現在の中国からの留学生も交えて、スロベニアの研究者と学術交流をした二日間でした。